「はらはら」という曲

 この曲の最初のバージョンは草子ドットネット置いてあります。そこに記述もあります。2002年の11月に形作られたということが、そこには書かれています。そのときのことはよく覚えています。

 年に3回あるいは4回ほど、愛知県の新城市まで鶏糞堆肥をいただきに行きます。4tダンプをレンタルして、日曜日に2往復するのですが、峠を越えて県境を越えます。そののぼり道でまさに、枯葉がたくさん落ちてきていた時のことでした。当時、僕にはいろいろな想いが交錯していました。親父が死んで1年9ヶ月ほど経った頃のことです。その枯葉が落ちてきたのを目撃した瞬間から、詩と曲が同時進行し、目的地までの20分で、この曲は4tダンプの中でほぼ出来上がっていました。MDプレイヤーを持参していたので、曲を作るという意識もあったのだと思います。

 その頃は、DAWをかじって一年。CUBASE SXを入れたばかりの頃です。親父の死で、親父のMACがやってきて、PCを導入して、DAWの進化に驚いたのが2001年の夏です。そういう意味では、DAWという概念が、曲を作るという行為をより積極的にさせたとも言えるでしょう。それまでの4trのカセットデッキと、MIDIとの同期、という形の制約の多さは、曲を形にしていくにはあまりにも非力を思い知らされるものでした。非力とは、音楽性のことでなく、経済的なことといっていいでしょう。それがDAWによって覆されたのですから、ふたたび音楽への前向きさを取り戻す大きな要因となったことは間違いありません。

 今回、この曲を録音するに当たって、最初のバージョンとの違いを強調する気持ちが合ったわけではなく、ただリアルタイムの演奏だけを心がけました。最初のバージョンでは、一定テンポのクリックに合わせての録音でした。この頃は、クリックを使いません。そのかわりに、不安定要因も持ち込みます。録音当日のリハーサルで、この速いテンポをはじめて試しました。haruさんは、少し戸惑い気味で、唄にも少し顕れています。詩の内容が、自分自身を確かめながら何とか不安定な気持ちを乗り越えようとしているというものなので、あまり重くならないようにとの思いもあったかもしれません。あとは、ギターシンセを弾いてピアノを入れただけです。