イーグルスのデスペラード

 昨日、藤田恵美さんの「Desperado」のことを書いたが、イーグルスのこの曲を近年聴いたことがないとも書いた。気になって調べてみると、YouTubeにライブ版が公開されていたので、試聴した。ドンヘンリーの例の声を久しぶりに聴く。さすがに、オリジナルとはいえ、しっかりと独自色をもってメロディを変えて唄っている。

 そのまま藤田恵美さんの「Desperado」に戻って聴いてみる。ピアノのアレンジはほとんどイーグルスのまま。やはり唄い方もイーグルスに近いが、あらためてクラシカルなリズムの取り方に違いを感じる。僕がその昔上京し、高田馬場のビッグボックスという名であったか、そこで聞いたデビューまもない竹内マリアが歌っていた「Desperado」を思い出した。ブルースを通していないカントリーフレーバーの女性の歌い手さんは、こういう感じになるのかな?ここが日本的なところだ。不思議なことに、イーグルスを聴いたあとに藤田恵美さんを聴いてみると、十分に独自色を感じるのである。これは、他の人と比べた場合の、典型的な例だと思う。この整然とした美しさを、やはり日本人は好むのだ。いいとか悪いとか、そういうことではないのだ。

 そして、また藤田恵美さんの「Wide Awake」を聴いてみる。あっ、やっぱり彼女は自分の中を探求している。イーグルスが「Desperado」を唄う時と同じ姿勢を垣間見る。せいいっぱいの自分と、自分に忠実であることを表現する、その同じ姿勢である。

 おっと、これでは「藤田恵美さんのcamomile Best Audioで見つけたもの その四」になってしまうではないか?

 ところで、イーグルスの「Desperado」いわゆる「ならず者」は、長い間というか数十年間ファーストアルバムに入っていたものだと思い込んでいた。違っていたんだね。セカンドアルバムはどこかで借りて聴いていたのかな?思い出せないけれど、「Desperado」を特に好きだったことはよく覚えている。高校生の頃だろう。フリートウッドマックの「噂」と、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」をリアルタイムで買ってきたあの頃、どういうところからそういう選択をしていたのだろう?そして、スティービーワンダーの「キーオブライフ」へとつながる。かぐや姫、南こうせつ、風、ディープパープルなどが渾然一体となっていた時期だ。この秋にはじめて知った藤田恵美さんという歌い手さんのプロフィールを見ると、たぶんあの時期に彼女は演歌を歌っていたということにもなる。人間の一生というものは、わからないものである。

 話をイーグルスのデスペラードに戻そう。あのピアノの4つ打ちに対して、ブルース的な16分音符の前のめりな唄い方がだいスキだった。ブルースが好きだったのかもしれない。白人のブルースだね。そういえばロリーギャラガーも好きだった。まだ脱線した。ブルース的な16分音符の前のめりな唄い方というものは、たいてい、裏拍で言葉が切れる。それが、その当時新鮮だったのかもしれない。日本人はそれを、コピーとして演じる。コピーだから、真似ることは実にうまい。しかし、真似であるから、そう簡単に自分のものにはならない。根源的なリズムを変えない限り、そういう唄い方にはならない。これは、リズムの取り方を変えて、10年とか20年かかるくらいのことなのだ。幼少期であればそんなにかからないが、それはもうリズムの取り方を変えるのではなく、最初からそのリズムをしみ込ませることになる。

 僕は、そのリズムの変革に20年を要した。自分を欧米化するわけではなく、どちらが自然であるかを選ぶ余地をつかむために。話が紆余曲折してしまうが、VAMPたちの演奏には、そんなリズムに対する何かを感じる。日本人の上手な演奏とは違う、リズムに対する畏敬の念というべきか?少なくとも、藤田恵美さんはそれを敏感に感じ取っている感じがする。が、日本人との競演では、まさしく日本的に振舞っているように見える。

 ああ、やっぱり「藤田恵美さんのcamomile Best Audioで見つけたもの その四」そのものになってしまった。