相棒から詩が送られてきた

 相棒のjoeから、郵送で詩をつづったコピーが送られてきた。先日、CDを送ったあとに、電話で「詩をいくつか書いてみたよ」というコメントをもらっていた。「送ってくれ」と伝えたのだが、そこには殴り書きして、訂正を横棒で打ち消したような、手書きの生々しい詩が書かれていた。

 何と、数えてみると、14もある!

 内容をここで晒すわけにはいかないが、いつか公開することになるだろう。奴も、自分と同じ、いや早生まれだったと思うからまだ45歳か。それにしては、純粋な詩を書く。文学部出で、詩にはうるさい奴だが、ストレートに彼の思うままを投影した描写が連なる。

 これは、自分が東京を去ってから17年の間の、彼の孤独な戦いの記録だと感じた。家族も持っているが、彼はあくまでも個の人間である。そういう意味において僕たちは同志なのである。


 詩を書いて30年あまりだろうか?唄の詩は、純粋な詩とは違うと思っている。本質は同じである。が、メロディという作曲家特有の思いの込め方というものがある。今風の思いの込め方にはついていけないのだが、作曲家特有の思いの込め方には多分共通点があるだろう。韻の踏み方や発音数など、決まったものではないがその曲固有のリズムというものがある。そこに当てはめていく、という行為はパズルに似ているが、思いを込めるという点で、数学的なものから脱却している。音楽は、思いを込めるものなのである。

 元に戻るが、彼の詩はすべて曲にするつもりだ。しかし、そこには、思いを込めることにナーバスになった相棒がいることも事実である。そこが、彼の難しいと考える素因と言えるだろう。でも、そんなことは大した問題にならない。リズム、それがすべてになるであろう。


 彼にも伝えたが、この頃の僕は詩と曲が同時進行だ。同時進行のいいところは、曲にリズムがきちっとはまるから、言葉を選ぶ時点で曲から外れることはないのである、ということだ。