記憶の無意識の模倣

 多忙にて草子の録音がしばらくストップしている。曲は溢れるように出てくるので、語りと即興演奏のページはストップしていない。しかし、Nuendoに向かわないと何も出てこない。
 勝手に溢れ出てくる曲が、どこか今までに聞いたことのあるメロディのような気がするときが極たまにある。どうあがいても曲は思い出せない。オリジナルな旋律は出尽くしたと言われて久しいが、作曲という行為は模倣といえるのか、それとも記憶の無意識の模倣なのか?
 それでも、自分の聴きたい音楽が他に見出せなければ、自分で紡ぎだすほかはない。もっとも、所詮はどこかで操られているに過ぎないのかもしれないが。