音楽って何?

 先日、この農場に、ある青年が畑を見にやってきた。名目は畑を見にやってきた、ということであるが、実際のところは少し趣が違った。

 有機農業仲間のところで働いているK君だが、来たのは一人ではなく、友人のO君も連れてきた。バンド仲間だという。K君がギター、O君はドラムス。その時感じたことは、農業のほうのブログに書いている。

 ここのところ、農業のほうが忙しくて、音楽のほうが少しずつしか進まない。収入源たる農業、子供たちを育てて生活するためにも、きっちりとやっておかなければいけない。土台をしっかりしておかなければ、結果的に音楽に費やす時間も奪われてしまうことになる。


 音楽、それは音楽に対するスタンスが人それぞれ違うので、音楽はこうだ、と言い切ることはできない。少なくとも、僕は人間のための音楽をやっている、ということは言えるだろう。犬や、農場の野菜のために音楽をやっているつもりはない。そういえば、昔、こんなことを言われたことがあったな。

 高校時代も曲をよく作って、多重録音なんかをしていた。クラスの女の子で、ピアノが弾ける子にデモテープを渡して聞かせたことがある。実際にピアノも弾いてもらって録音もしたのだが、そのころのテープはもう失くしている。それはいい。そのときに、その女の子が言うには、ビートルズの曲をかけると小鳥たちが騒いでよく鳴くのだけれど、僕の曲をかけてもよく鳴く、というのだ。あの頃を思い出せば、あの頃はアコースティックの楽器ばかりで多重録音していた。そういうことも関係あるのかどうか?しかしながら、あのころも今も、僕はやはり人間のための音楽を創作しているつもりだ。

 その人間のための音楽の中で、一番重要なところはどこだろう?その音楽に歌があれば、やはり歌を聴かせたい、というのが元になる。歌イコール歌詞ということにもなってくる。その次は、楽曲を聴かせる、ということか?さらに参加メンバーを引き立たせる、自分のパートを引き立たせる、なんてことが、アピールとして出てくる。そして、優先順位はあとのほうになるが、一番重要なのはサウンドである。サウンドが、自分自身の好きなものであるかどうか?ここが、自分の音楽をやっている大きな要因の一つになるだろう。そしてまた、サウンドをバックに、精神性をどこまで表現できるか?ということも重要な側面だ。

 わかりやすいかどうか?大衆に受けるかどうか?そういったことを考えるのは、プロデューサー的な立場な人であろう。プロデューサーも兼ねるうちの場合は、その側面は後回しにされる。自分が音楽をやっている、その理由が楽曲に現われてこなければ意味がないのであるから。納得のいく楽曲、納得のいく演奏、そしてクオリティ、それがひとつの到達点になる。

 それは、何々風であるとか、クリシェを使いまわしたような作品ではない。ほかに似たようなものがあるのなら、自分がやる必要はない。ほかに似たようなものがないから、自分である必要がある。その、制作段階の背景として、オーガニックファームを選び、立ち上げたのだ。そして、それはもう20年目を迎えようとしている。