神田川

forever

forever


 最初に出てきたのは、南こうせつだった。僕の中学の頃から高校の半ば頃までのアイドルだった南こうせつのことは、当時オールナイトニッポンのDJなどをよく聞いていたので、あらかたなんでも知っている。神田川の誕生秘話もよく聞いた。ほんの10分程度で曲が出来たことも知っている。だから、同じ話かと思っていた。そこへ、喜多条忠さんが出てきた。おー!!それが、こうせつから依頼を受けて半日後の帰宅途中の標識の神田川という文字から生まれた、という。

 腑に落ちた。

 こうせつ、などと普段僕は呼び捨てで人をめったに呼ばないが、昔のファンであるとどうして正々堂々と横柄になれるのだろうか?ファンとはいいものだ。

 神田川の話を聞いて、喜多条忠さんの話をテレビで聞いて、腑に落ちたのである。詩の最後の「あなたのやさしさがこわかった」と書いたこともとても理解できる。
 何よりも、神田川の標識を見た、という瞬間から詩がいっきに蘇生して発展するところは、とても理解できる。今、僕の書いている曲も同じだ。それは、3月の終わりに日記に書いた。車を運転していて、目の前にサッと新幹線が通りすぎていったとたんに、詩は生まれ、曲の全体像まで、ものの10分とかからないで車の中で出来た。これはよくあることではあるが、簡単なことではない。だからよく理解できる。