セッションで生まれた曲に歌詞をつける

 昨年暮れのRosemary&Timesのレコーディングでは、あらかじめ用意した曲のうちの8曲と、セッションで4曲ほど、計12曲を演奏しました。今後の方向性を探るレコーディングでしたから、言ってみればjoeのドラムスとどうフィットするか、どのように彼が叩くか、どのような録音方法が適当か、が僕の関心ごとでした。結論から言えば、セッションで生まれた曲のほうが、このバンドには似合っている、という当たり前のような再確認の場でもあったように思います。

 このときの録音のなかからmF247に登録した曲は、「草子」のほうでは演奏したことのないものばかりで、新しい曲ばかりでした。それでも、やはり、joeとの演奏は、最新の生の状態が適していることを確認できたので、とりあえずそのセッションからの曲を昨日からイメージの中に取り込んでいます。

 一つのセッションで生まれた曲の場合、歌詞はあとから考えてつけることになります。そこが、いちばんのネックになります。生かすも殺すも歌詞しだいです。mF247に登録してある曲の詩を気に入ってくださる方もいるのですが、昨日の日記でも書いたようにまったくだめだという人もいる。言葉を音の響きで選ぶべきだ、という意見もある。日本的な私小説風はやめてくれ、というjoeの要望もある。それなら、お前書いてくれ、と言えば「俺には才能がない」という。では、どうすればいい?

 結局、この30年間と同じように、子供の頃の感覚に戻って、自分のいいと思うものをイメージするほかはない。人に気に入られるようになんか書けません。僕のいいたいことを正直に書くほかはないのです。でも、ちょっと違う視点、僕でないような視点でイメージして、曲を楽しめたらなと思っています。

 いつもは、詩と曲が同時進行で発生して形作ることが多いので、曲の原型が出来た上で詩をイメージするとなると、やはり限定されます。限定されると言うことはイメージが狭くなりがちなので、逆にイメージ中心で、言いたいことを極力言葉にしないで、イメージだけで描写しようかな、と今は思っています。

 こんな、曲の出来上がる過程を公開していくなんて、無謀なことかもしれませんが。ここ数日、梅田望夫著作の「ウェブ進化論」を読んでいて、これから先の音楽の世界も変わっていくだろう、といろいろ夢想をしているのです。今参加しているmF247も、レコメンド機能やダウンロード数でのランキングがありますが、どうしてその曲が好きであるのか、どこが好きでないのか、あるいはどの部分が好きであるのか、ダウンロードはしたが失敗であったとか、聴く側の意見すらとても少数であるのが現実です。ましてや、制作側の態度は自己紹介程度しか伝わってこない。例えば、小室さんが佐野元春さんのSomedayをリミックスする経緯などは伝わってこない。

 「ウェブ進化論」を音楽に置き換えて読んでみると(まだ全部読み終えていないですけれど)、聴く側、制作する側の細かな心理状態までをグーグルなりが吸い上げていくのならば、いわゆるロングテール部分が豊かにさまざまな人に伝わっていくようになるのではないか、と夢想しているのです。そういう意味で、僕もできるだけ制作過程を公開して、聴く側の意見を取り入れる機会を増やしたいと思うのです。もちろん、あくまでも僕は僕でしかありませんが。

 mixiの中で、曲に対するよい感想もいただいております。