「だんだん」

 朝ドラで「だんだん」という番組。音楽を志したり、流通世界の人が登場したりして、紆余曲折のある展開で面白い。朝ドラを見る日々は久しぶりだ。ああいう主人公、とは違うにしても、家族やら職業やらいろいろなしがらみの中で紆余曲折する人は多いと思う。僕もその一人だ。

 でも、音楽なら音楽をやめてほしくないな。その世界から遠ざかっても、唄なら唄を唄いつづけてほしいと思う。音楽業界にずっと続けていることが素晴らしいとは思えないし、それはどんな業界でも同じだ。専門職であることに間違いはないが、いろいろな世界を本気で知ることは、限りなく重要なことだ。

 たとえば音楽業界にいる人が、その狭い世界だけを見て曲を作ったって詩を書いたって、それは面白いものではなくなるだろう。だから、音楽業界の外にいることは重要で、業界の外にいたって、ずっと音楽を続けていくならば、音楽の世界は底辺がとても大きくなる。そして、チャンスがあるならば、表の世界に飛び出したっていい。こういう高齢化社会であるから、年は関係ないのである。

 というのは、音楽の世界なら、プレイヤーとして志をもった人が、ずっとプレイヤーとして演奏し続けることが大事で、プレイヤーをやめてリスナー専門になってしまうと、最初からリスナー専門である方と同じことになってしまう、という極端な仮説を立てたからだ。

 クラシックの世界でもそうだと思うが、本当にクラシックを理解しようと思う人は、たいてい演奏もし続けているものだ。それが、クラシック音楽の底辺を支え、ある一定以上の水準を保つ原動力になっていると思う。

 もちろん、リスナー専門でも、音楽を徹底的に聞き込んで理解しようとする耳の肥えた人たちがいることも事実だ。事実だが、それはほんの一握りの人に過ぎないだろう。

 で、もう時間がない。秋はつるべ落としに日が暮れるからね。

 さっき、久しぶりにTekNugというもう過去のバンドの曲を聴いた。やっぱりNugさんの声はいい。この方、音楽をやめたかどうかは知らないが、東京から東北地方の地元に帰られたようだ。まだ音楽をやってくれているといいな。東京なんか行かなくてもいいから、音楽を続けてほしいと思う。いい声してるもの。そういう人って、今までにも一杯いたんだろうな。みんな、やめてほしくないな。

 そう思って、ちょっと今日は書いてみたのでした。